臨床研究について

私は現在1,000床の総合病院に循環器内科医として勤務している.循環器はあくまでsubspecialityであり、循環器内科医の前に内科医でありたいと考え、努力しているつもりである.

近年、分子生物学の発達により循環器領域の研究も様相が一変してきた.私は先日ジュネーブで開かれた国際心不全研究会に出席したが、50%以上の演題が分子生物学の手法を用いた研究であった.また、日本の循環器学会でもこのような演題が増加している.研究費用も申請書に分子生物学という文字をいれないとなかなかとれないと聞く.現在では一流の研究はprospective studyであり、かつ新しい方法論を用いなければなかなか認められない.しかし、日本では臨床でprospective studyをしようと思えば、患者にとって不要であると思われることでも保険診療にてデータ収集をしなくてはならないことが多い.

過去10年、循環器の臨床においては経皮的冠血管拡張術、食道心エコー図、カテーテルアブレーション等の新しい方法、治療が出現し、一人の循環器内科医がこれらすべてをカバーすることは困難な時代になってきた.循環器以外の内科の知識も含め現在の自分の臨床の能力を保持し、最新のことに精通し、その上に分子生物学等を用いた一流の研究をするのは不可能のように思える.では、分子生物学だけが研究の道であろうか?

臨床の教科書には種々の疾患の本態があたかも確定されたかのように記載されているが、実際には何も確定されていないように思う.長く臨床をやればやるほど、教科書に書いてあることが間違いであり真実は患者が教えてくれることが多いのに気がつき、臨床医学の奥深さを痛感する.臨床医学においては、文献に対して常に批判的に読むこと、および患者への鋭い観察力を持つことが必要である.臨床からでた疑問点を例えretrospective studyであってもまとめるのが臨床研究の一つの型であり、現代のような分子生物学全盛の時代にあっても、そのような研究も同様に評価されるべきであると思う.

今後、医者は臨床を中心にするのか、研究を中心にするのかの二極集中になっていくように思える.よい臨床医でありかつ一流の研究者というのは現代では不可能である.どちらも片手間にできるほど甘くはなく、ともに精をだせばどちらも中途半端に終ってしまう.長い、医師生活の中で、一つのテーマを掘り下げて研究することは必要かも知れない.しかし、長く臨床を続けていると現在の内科学の日進月歩の中1-2年でも臨床を離れてしまうのは、不安がつきまとう.長く患者の世話をさせていただき、そのなかから新しいものが発見できればと願う今日この頃である.